shio’s blog

静岡県出身、現在東京の大学に通う一人間のストーリーです。

言語化

書きたいこといっぱいある。笑

前は書き留めたいなとか思ってたけどしてなくて、してなかったらしてないでそのままなんとなく消えていって、それに対する感情も特に湧かなくて。

でも今始めてしまったら、思いついた考えを書き留めておかずにはいられなくなった。そのまま消えていくのが怖いっていうまっさんの感覚が少しわかるようになった気がするな。

 

さっき夜を散歩しながら言語化について考えてみた。

感情を言葉で表現する面白さは省くとして、自分のもやもやした考えとか気持ちが言葉になっていくプロセスって色々あって面白い。

 

もちろん、自分が今まで生きてきた中で培ってきた自分の頭の中の辞書から何とかして言葉をひねり出してきて表現するのもすごい大事だし、なかなか骨の折れる作業であるけど、もっと不思議で面白いなと思うのは、言葉との偶然の出会い。

 

人が話していたり、著名人が演説で大々的に言っていたり、そんな時に耳に入ってくる言葉の意味が分からなくてもなんとなく耳に残るってことが時々ある。意味わかんないなあ、この人何言ってるんだ。みたいな。

そんななんとなく頭の片隅に残っている言葉に自分の経験が追いつく時がある。自分で今ある状況を表してみようとしたとき、あ!この状況ってあの人が言ってたあれか!みたいに一気に自分の中の「何か」が消化される。

 

もう一つは、自分がなんとなく抱いているけれど言葉にできないような思いを抱えていた時、人と話している中で、相手が使う言葉の中にそれをぴったり表してしまう言葉と出会うこと。相手に自分のもやもやを伝えているわけでもないのに、何となく話の流れでそんなトピックに流れ着いて、相手も同じことを思っていて、それをうまく言葉にしてる、なんてこともある。

 

前者の言語化には大きく二つの経験がある。

一つは、ジョブズの「点と点が繋がって線になる」というもの。当時高校生?だったと思うけど、その時は何言ってるのかさっぱりわからなかった。けど、大学に入っていろいろ考えるようになって、今までの経験が自分の考えにすべて影響しているように思えるようになった。浪人も、スぺ科じゃなくてポル科になったことも、バスケをなんとなく続けていたことも全部。それに気づいたとき、ものすごく人生が楽になった。肩に乗っていたとんでもなく重い荷物が一瞬にしてなくなった爽快感だった。

 

二つ目は、日米学生会議というものが続く意味が分からなくなったとき、(なんで日米でやる必要があるの?とかなんで学生会議なの?とか)ある飲み会で一人のおじさんに相談したとき、「日米学生会議で築かれる人間関係を『日米学生会議』って言葉に表せるくらいにしたらいいじゃん」って言われた。は?って。何言ってんのこの人?ってなりながらその時は、そうですね~なんて言ってたりした。

その意味に気づいたのは今年の5月。ポル科の友人と夜電話していて、ポル科について話してとき。ポル科最近遊ばなくなったよねー、とか離れ離れになったよねー。みたいなよくある話。でも自分はあんまりそんな感じに思ってなかったから、それを伝えていた。自分にとってポル科は「遊ぶ」とか「勉強する」とか「~を達成する」とかそんな目的なしにいれる居心地のいい場所。だから一人一人を何かでジャッジする必要もないし、一人一人と目的のない時間をひたすら過ごすことだってできる。

だから、「集まらなきゃ」とか「JASCで離れたから戻らなきゃ」みたいな焦燥感は特にない。むしろJASC69というコミュニティをポル科のような場にしたいと思ってここまでやってきてるんだから。壮大な目標。笑

この人間関係そのものを表すのが「ポル科」という言葉。もはや僕にとってポル科はポルトガル語を学ぶ東京外国語大学の学部の一つ、を表す言葉ではない。2015年に入学して、ボート大会とかタコパとか外語祭とか他愛もない喧嘩とか感情の揺れ動きとかそんないろんなものを経て醸成された28人の今現在の人間関係そのものを表す言葉であると思う。みたいな話をしたとき、2016年の10月に出会ったおじさんの言ってることがストンって消化された。

そんな運命的な言語化。笑

 

後者の言語化は、「セーフプレイス」ってやつ。

自分の運営する日米学生会議が、「目的に沿って人の一側面だけを見て、それで人そのものを判断してしまうような場で終わらせたくない。」って思いを抱いたときに、それを端的に表せる言葉がなかった。上の言葉では全然足りない。

そんな時、ある人と3時間ぐらい話していたとき、「セーフプレイス」という言葉をよく使っていた。その時は、めっちゃ使うし、自分のモットーなんじゃない?って相手側に伝えるぐらいの気持ちだったけど、それを後々考えると、自分が求めていたものにピッタリであることに気づいた。

そもそも、「目的に沿って人の一側面だけを見て、それで人そのものを判断してしまうような場で終わらせたくない。」って思ったのも、自分にとって日米学生会議という場が安全な場所でなかったから。ポル科がという場所が自分にとって安全で、それを言葉にできたのも日米学生会議との対比があったからだと思う。

JASCって運営するとなると、より良い会議にするって目的があって、そのためにしないといけないことが山ほどあって。それをみんなと分担してやっていくけど、だんだんとみんなその側面でだけメンバーをジャッジするようになっていってしまった気がして。というより、自分がそれで自分そのものを決めつけられているようなどん底に落ちたような感覚に陥って暗闇で一人もがいてるみたいな感覚に陥ってたし、やり場のない苦しみにまみれていた。unsafeだった。

でもひょっとしたらこれって自分だけじゃなくて、みんな思っているのかもしれない、思っていることを言葉にできないだけで、思いを共有できないだけでこんなにも場がセーフではなくなってしまうんだって気づいた時から、自分が実行委員長やってる場ぐらい、実行委員も参加者も全員「ここはセーフプレイスだ」って胸張って言えるような場にしたいって思うようになった。今すぐJASC解散しても、「JASC69」は永遠に残るような、そんな一人一人の人間の魅力にお互い惹きつけられてしまう場所。そんな感じにしたいなあ。

 

てな感じで思わぬ形で自分の思いが一言に表された出来事だった。

 

これからももっともっと思いを形に表せるような人間になりたいな。絵とか音楽とかほかの形の表現にもチャレンジしてみたいけど、まずは日本語、次にほかの国の言葉で自分の中の揺れ動く感情を表せるようになって、人に言葉を与えられる人間になりたい。

 

こんな思いがよくも悪くも第2言語の習得のハードルを上げている気も間違いなくするけど。がんばるしかないかあ。

 

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